2020年6月24日
「誰の人生にも、自分や家族だけではどうにもならないことが起きる」。下町育ちの27才が描く「コロナ後の都政」とは?
新型コロナウイルスの拡大を受けた緊急事態宣言と「東京アラート」が解除された。しかしコロナ後の東京にはまだまだ課題が山積みだ。休業を余儀なくされた飲食店、資金繰りの悪化によって廃業や倒産の危機にさらされる中小企業。介護や保育、教育現場など、生活にとって不可欠なサービスも、今後の見通しに不安は尽きない。
そんな中、東京都大田区で政治活動をスタートさせたのが松木かりん。平成生まれの27才だ。東京の下町で零細企業を営む父と非正規雇用の母に育てられ、自身も奨学金を借りながら進学、大学院でジェンダーとキャリア研究について学んだのち、さまざまな現場を飛び回ってきた。「物心ついてからずっと、閉塞感を当たり前に感じてきたし、政治に期待する人も少ない世代だと思う」。そう語る彼女は、新型コロナ感染拡大による経済停滞が色濃い街を回るうち、政治活動をスタートさせる決意を固めたという。
「誰の人生にも、個人や家族ではどうにもならないことが起きる。本来、そんなときのために政治はあるはず。コロナ後の街を回る中で、街にあふれている切実な声を、政治は拾えてないと実感しました」。地盤も看板も、豊富な資金もない。不安もあったが、松木は「閉塞が当たり前」の時代に生まれ育ち、特別ではない「普通の世界」の中で生きてきた自分だからこそ、描ける政治の姿があると感じているという。
「わたしは生まれ育った環境も決して裕福ではなかったし、本当なら政治家になるタイプじゃないかもしれない。スローガンだけの古い政治にもずっと距離を感じてきた。でも、自分みたいな人間が政治の世界に飛び込むことで、一石を投じることができればと思う。」現在も大田区で精力的に活動する彼女に、これからの東京の未来、そしてあるべき政治の姿について聞いた。
「父の収入が半年ほど途絶えることもあった」──“マイペースな下町生まれの鍵っ子”の原風景は昼夜問わず働く父と母
──自己紹介をお願いします。
出身は葛飾区の柴又で、いわゆる「下町育ち」。両親が共働きでひとりっ子だったから、帰宅すると近所の商店街の人たちが「かりんちゃん、おかえり」って、地域に見守られて育ちました。下町なので周囲は職人さんの家系が多かったりして、あの頃は大学はまだしも大学院まで進もうとするのは、すごく珍しかったかもしれないです。わたし自身は、いろいろと悩んだ結果、大学院で女性の働き方やジェンダーを学び、研修という形でさまざまな現場で働いてきました。現在27歳です。
──どんな子ども時代でしたか?当時の経験で印象に残っていることはありますか?
基本的にマイペースな性格でした。父がいわゆる中小零細企業の経営者なのですが、収入が安定しないこともあり、母も非正規雇用で昼夜問わず働いていました。だから幼い頃は、平日は保育園に預けられて、休日は父の会社に一緒に行って一人で遊ぶ、という生活でしたね。
父の会社は規模も小さかったので、リーマンショックや東日本大震災など、景気が落ち込んだときには、半年ほど収入が途絶えることもありました。そのときは母親の収入が命綱。子どもだったので、家計のことを詳細にわかっていたわけではないですが、そんな風に家計を支えている母は非正規で、苦労していました。
母はわたしが生まれたタイミングで正規雇用の仕事を辞めたのですが、「いったん正規を外れてしまうと女性は正規に戻るのが難しい」と言っていたのは、今でも覚えていますね。様々な人たちが暮らす下町で、一生懸命働く両親の姿はわたしの育った原風景かもしれません。
「お人形さんを並べられて、“どれがいい?”って聞かれてる感じがした」──就活中に面接官から投げかけられた言葉「女の子は仕事に対する真剣さが足りない」。
──松木さんが政治に関心をもったきっかけは何ですか?
大学は自分で奨学金の制度を調べて、なんとか進学することができました。在学時もずっと塾の個人指導や統計データの整理のアルバイトなどをしていました。大学卒業後はすぐに働くつもりだったのですが、大学3年生で就活していたときに壁にぶつかりました。
わたしは全国あちこちで仕事をしたくて、いわゆる「総合職」を受けていたのですが、様々な企業の人たちが説明会で提示する「働く女性」のモデルが、すごく画一的だったんです。「ばりばり仕事をして〇〇歳で結婚して子どもを産んで幸せです」みたいな。「働く女性」と言っても多様だし、業種も様々なはずなのに、みんな同じようなことしか言っていない印象で。「どのお人形さんを選びますか?」って言われているように感じました。
結局、内定を取れた企業もいくつかありましたが、ある面接では「女の子は仕事に対する真剣さが足りないんだよね」ってはっきりと言われて。そんな中で、働き方やジェンダーについてもっと学びたいという気持ちが湧いてきて、大学院に進学することにしました。わたしにとっては、大きなターニングポイントのひとつだったかもしれません。
“閉塞の時代”生まれのリアルと身近なハラスメント「政治には距離を感じてきた。でも、人生には自分や家族だけではどうにもならないことが起きる」
──松木さんは平成生まれです。平成の30年は「停滞」や「閉塞」と振り返られることが多いですが、松木さんは政治に対してどんな感覚を持っていますか?
たしかに自分も周囲の同世代も、この先社会が良くなっていくという実感は持ちにくかったと思います。政治には最初から期待しない。それよりも自分の人生を自分で頑張れば、なんとか生きていくことはできるだろう、それでいいや、という空気はあると思います。「今の自分が良ければいいや」と。
社会保険料を納めても年金もらえないなら、政治になんて期待するのをやめて、iDeCo(個人型確定拠出年金)でもやった方がいいよね、という。わたし自身もそんなところがあったかもしれないです。
──そうした感覚を持ちながら、なぜ自分が政治に関わろうと思ったのですか?
女性の働き方ひとつとってみても、自分だけの力では変えられないことがたくさんあると気づいたからです。思えば、わたしは大学に進学した年に東日本大震災が起こり、家庭の経済状況はすごく悪くなったんですが、わたしは奨学金などの支援でなんとか勉学を続けることができた。でもそれはわたしがたまたまその情報にアクセスできただけ。人は生きていたら、自分や家族だけじゃなんとかならないことも起きます。そんなときは、やっぱり政治の力が必要になる。
今回のコロナ禍でも、政府は「収入が減ったことを証明したら支援します」という姿勢です。でも、本当に追い詰められた人ほど、そうした証明をする余裕がなかったり、そもそもそうした支援の情報そのものが届かなかったりするものです。
──身近にパワハラを経験されたことも大きなきっかけだったと聞きました。
所属していたある団体で、後輩に対するパワハラがありました。わたし自身もセクハラやパワハラを受けたことがあり、最初のうちは抗議をしていたのですが、だんだん消耗してきて、受け流すようになってしまっていた。
そんなとき、後輩がハラスメントが原因でメンタルを壊してしまったんです。彼女が泣きながら、「もう少し自分が我慢できればよかったです、わたしが悪かった」と話すのを聞いて、ものすごく大きな後悔に襲われました。「絶対にあなたが悪いんじゃない」と思った。その後、先輩たちに助けを求めてハラスメント対策の講習をしたり、規則をつくったり、できるだけのことをしましたが、その後輩の言葉は、今でも忘れられないです。
自分のことだけを考えれば、受け流してうまくやり続けたほうがよいのかもしれない。でも、誰かが戦わなければいけない。その葛藤と向き合いながら、どうにか現状を変えていきたい。そうじゃないと負の連鎖は断ち切れない。政治の世界にもそうした古い体質はあると思います。でも、そうした理不尽さを理由にわたしたちが政治から遠ざかってしまうのは悔しい。政治の方を変えていくべきだと思います。
コロナ後の大田区で聞いた声は「もう店をたたもうとも思った」──個人商店や工場で働く人たちに、両親の姿が重なった
──新型コロナウイルスによって様々な現場に影響が出ています。どのような変化に着目していますか?
わたしは昨年から、子育て中のお母さんが子育て世帯に向けたサービスをする企業のお手伝いをしていたのですが、そうした現場ではすでに2月から影響が出ていました。働きに来られないお母さんが増え、在宅で子どものケアをしなければならず、そのうち夫も在宅勤務になって、という。
潜在的に就業可能な保育士免許をもつ人たちは多いのに、給料をはじめとする就労環境が悪いからなかなか人が集まらない。ただでさえ待機児童の問題が言われていましたが、根本的な解決から目をそらしているうちに、コロナでますます状況がシビアになってしまったと。子育て中のお母さんに話を聞いたときは、休校でずっと子どもの面倒を見ながら仕事をしなければいけなくて、「もう本当にきつかった。限界だった」って。その影響はこれからも続くと思います。
──大田区ではどんな声が聞こえてきますか?自己責任を求める社会への違和感が強まっているようにも思えますが、街や現場で聞いた声について聞かせてください。
大田区では、コロナの影響でなかなかタウンミーティングなどを開催することができないのですが、一軒一軒ご紹介いただいた個人店などを回っています。そこで実感するのは、コロナ以前の10年前や15年前から、下町の飲食店や商店、工場はずっと厳しい経営を迫られていた、ということです。
昨年の消費税増税後、もう限界という中で踏ん張っていた個人店が、今回のコロナでついに廃業に追い込まれそうになっている。ある方からは、「もう店をたたもうとも思った。首をくくる人の気持ちもわかる」とさえ言われました。「お金儲けしている人だけのための街ではないし、通過していく人たちだけのための街でもない。暮らしている人を大切にする街になってほしい」ということを別の方から言われたのも印象に残ってます。わたしは小さな会社を切り盛りする父の姿をずっと見ていたので、自分の原風景と重なりました。
「コロナ後の今だからこそ、政治の本質が問われていると思うんです」 ──自己責任では片付けられない問題を解決するために政治はある
──現在の都政についてはどう思いますか?
政治家自身がメディア上で対立構造を煽り、空々しいスローガンばかりがあふれてしまっている気がします。わたし自身、そうした政治にはうんざりしてきた。都民のそんな気持ちでいる人も多いんじゃないか。
これも大田区のある方がおっしゃっていた言葉なんですが、「区議会議員や都議会議員って、いったい何をやっているのかわからない」って。こんなときだからこそ、政治の本質が問われていると感じます。とにかく現場に足を運んで、顔の見える活動を通じて、できるだけ多くの声を政治に反映させていきたいです。
──最後に、有権者にメッセージをお願いします。
これまでの政治には期待できない、と考える人たちの気持ちもわかります。でも今回のコロナのように、自己責任では片付けられないことは、きっとこれからも起きるはずです。大きな障害にぶつかったとき、それを自分たちだけでなんとかしようと思わないでほしい。あなたが困ったときに支えるのが、本来の政治の仕事なんです。あなたの暮らしとつながる政治は、必ずつくれます。
松木かりん KARIN MATSUKI
1992年、東京生まれ。お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科ジェンダー社会科学専攻修了。松下政経塾第38期生。現在、立憲民主党東京第4区総支部政策委員(都政担当)。国内外で研究・調査を実施。これからのケアワークの在り方や多様な働き方を考え、活動を通して「誰もが働きやすく、生きやすい社会」の実現を目指す。